京都大学は2026年10月8日、大塚製薬と共同で、デジタル錠剤向けの時計回路を開発したと発表しました。消費電力は0.79nWです。体内の温度やpHを、測定時刻とともに記録するための基盤技術です。[1]
今回の成果は、飲み込む機器の中で動き続ける時計を小型化し、消費電力を抑えたことです。錠剤全体が0.79nWで動くと実証したわけではありません。実際に人が飲み、長時間の体内計測に成功したという発表でもありません。
消費電力の小ささだけでは、技術の価値は十分に分かりません。従来の回路や市販タイマーとの比較に加え、消費エネルギーや面積を計算すると、今回の進歩と残された課題が見えてきます。
京都大学が開発した時計回路とは
時計回路は、機器の中で時間の基準を作り、センサーに「いつ測るか」を知らせます。今回の回路は、7nm世代の半導体製造技術で試作されました。7nmは製造技術の世代を表す名称で、チップ全体の大きさではありません。
開発したのは、新津葵一教授らの研究グループです。成果は、韓国・仁川で開催された国際会議「IEEE BioCAS 2026」の10月8日の発表プログラムに掲載されています。[2]
| 項目 | 公表された内容 |
|---|---|
| 消費電力 | 時計回路単体で0.79nW |
| 電源電圧 | 3.0V |
| 出力周波数 | 0.96Hz。1秒間に約0.96回の周期 |
| 回路面積 | 0.00015mm²。約4µm×38µm |
| 回路の構成 | 16段の電圧スタッキング |
| 面積の比較 | 従来方式の約47分の1 |
| 評価条件 | 模擬胃液による発電出力を想定した電源条件 |
出所:京都大学・JSTの発表資料。面積と消費電力はいずれも時計回路の値です。[3]
なぜデジタル錠剤に、ゆっくり動く時計が必要なのか
体内の状態を数十秒おきに測る機器では、高速な時計よりも、少ない電力で動き続ける時計が重要です。センサーや通信回路を休ませている間も、次の測定時刻を知らせる仕組みは必要になります。
目覚まし時計を想像すると分かりやすいでしょう。測定を担当するセンサーが眠っていても、それを起こす時計は動いています。この時計が電力を使いすぎると、測定に回せる電力が減ってしまいます。
研究が目指すのは、胃酸を利用して発電し、その電力を蓄えながら動く機器です。限られた電力を、時計、測定、記録、通信に割り振る必要があります。温度やpHを継続して記録する用途が想定されています。[3]
漏れる電流を再利用する仕組み
省電力化の工夫は、回路から漏れる電流も、別の回路で再利用できるようにしたことです。半導体では、電流を止めたいときにも、わずかな電流が流れることがあります。これをリーク電流と呼びます。
研究グループは、回路を電圧方向に積み重ね、上段を流れた電流を下段で再利用しました。チップを16枚重ねるという意味ではなく、電気的なつなぎ方を工夫する技術です。
さらに、回路のまとまりごとに「ウェル」を分離しました。ウェルとは、トランジスタを作る半導体の領域です。これにより、従来は外へ逃げていたゲートリーク電流も再利用できました。[3]
高い電圧で蓄電しながら、時計はゆっくり動かしたい。その要求に応えるため、電圧を下げる専用回路を介さずに低い周波数を得た点も特徴です。ただし、錠剤に必要な電源回路がすべて不要になったという意味ではありません。
独自計算:0.79nWで1日動くと、どれだけエネルギーを使う?
時計回路だけを0.79nWで24時間動かすと、使うエネルギーは約68.3µJです。nWは10億分の1ワットを表します。µJは100万分の1ジュールで、使ったエネルギーの量を示す単位です。
電力は「エネルギーを使う速さ」、エネルギーは「使った総量」です。水道に例えると、電力は毎秒流れる水の量、エネルギーはバケツにたまった水の量に当たります。
| 動作時間 | 計算式 | 時計回路が使うエネルギー |
|---|---|---|
| 1時間 | 0.79×10−9W×3,600秒 | 約2.84µJ |
| 24時間 | 0.79×10−9W×86,400秒 | 約68.3µJ |
0.96Hzの1周期は、1÷0.96=約1.04秒です。1周期当たりのエネルギーは、0.79nW÷0.96Hz=約0.823nJになります。
いずれも、公表値を基に本記事で計算した値です。消費電力と周波数が一定だと仮定しています。センサー、メモリ、無線通信などが使う電力は含めていません。
この計算から分かるのは、時間の基準を維持するために、どれだけのエネルギーが必要かということです。実際に24時間使えるかどうかは、発電量や蓄電量、ほかの回路の消費電力にも左右されます。
独自比較:「面積47分の1」でも、錠剤全体が47分の1になるわけではない
約47分の1になったのは時計回路の面積です。チップ全体や錠剤の大きさを、同じ比率で小さくできるとは限りません。錠剤には、時計以外の部品や薬剤も必要です。
研究室が公開している2024年の時計回路の論文情報には、面積0.007mm²と記載されています。今回の0.00015mm²と比べると、0.007÷0.00015=約46.7倍です。公表された「約47分の1」と整合します。[4]
そこで、面積1mm²のチップに載せる場合を考えます。京都大学が示す応用イメージでは、約1mm角のチップが想定されています。[1]
| 比較対象 | 時計回路の面積 | 1mm²のチップ内で占める割合 |
|---|---|---|
| 2024年の時計回路 | 0.007mm² | 0.7% |
| 今回の時計回路 | 0.00015mm² | 0.015% |
| 差 | 0.00685mm² | チップ面積の0.685%分 |
割合は本記事で独自に計算しました。製造技術や回路の配置が異なるため、実際の設計でそのまま置き換えられることを示す比較ではありません。
時計の小型化と錠剤の小型化は、分けて評価する必要があります。ほかの部品が大きさを決めているなら、時計を縮めても錠剤の外形はほとんど変わらない可能性があります。ただし、空いた領域を蓄電や記録に使う設計の余地は生まれます。
従来研究や市販タイマーと比べると、何が違う?
今回の強みは、消費電力を抑えながら、3.0Vへの対応と小さな回路面積を両立したことです。条件をそろえずに数字だけを比べると、技術の優劣を誤って判断するおそれがあります。
| 比較対象 | 電源電圧 | 消費電力 | 比較時の注意 |
|---|---|---|---|
| 京都大学の今回の時計回路 | 3.0V | 0.79nW | 7nm世代、0.96Hz、回路面積0.00015mm² |
| 同研究室の2024年の時計回路 | 1.2~2V | 0.22~9nW | 65nm世代。論文タイトルに2Hz、面積0.007mm²と記載 |
| TIの市販タイマー「TPL5110」 | 比較に用いる条件は2.5V | 約87.5nW。本記事で計算 | 35nAの標準消費電流から換算。電源のオン・オフ制御などの機能も備える |
出所:発表資料、研究室の論文一覧、TIの製品情報。2024年の値は論文情報に記載された範囲であり、同一条件で再測定したものではありません。[3][4][5]
TPL5110は、2.5Vで35nAという標準値を公表しています。電力に換算すると、2.5V×35nA=87.5nWです。今回の0.79nWは、この値の約111分の1に当たります。
ただし、市販製品は機能も評価条件も異なります。この比率は電力の規模を理解するための目安であり、そのまま置き換えられるという意味ではありません。市販部品の外装サイズと、チップ内の回路面積を直接比べるのも適切ではありません。
2024年の研究には、0.22nWという値もあります。したがって、今回の0.79nWだけを根拠に「過去の回路すべてより低消費電力」とは言えません。
発表資料では、電源電圧の2乗を消費電力で割った値を、改善の指標にしています。今回は3.0²÷0.79=約11.4V²/nWで、従来の最高値の1.74倍としています。これは、錠剤の使用時間が1.74倍になったという結果ではありません。[3]
「約37秒動く」は、何を測った数字なのか
約37秒は、充電が途切れても時計が動き続ける保持時間であり、デジタル錠剤全体の使用時間ではありません。発表資料では、10nFのコンデンサを3.6Vまで充電した場合の値として示されています。[3]
コンデンサは、電気を一時的に蓄える部品です。体内での発電によって充電を続けられるかどうかと、充電が止まってから何秒動けるかは、分けて評価する必要があります。
今回の動作確認は、模擬胃液による発電出力を想定した電源条件で行われました。人の胃や腸で、同じ保持時間や長時間の動作を確かめたという説明ではありません。[3]
本記事では、今後の評価で確かめたいのは、発電が弱まったときに「測定」「記録」「時間の維持」をそれぞれどこまで続けられるかだと考えます。時計が動いていても、センサーが測定できなければ体内データは増えません。時計が止まった場合には、再起動後に記録の時間をどうつなぐかも課題になります。
独自試算:時計の省電力化は、機器全体にどれだけ効く?
時計の省電力化が機器全体にどれだけ効くかは、総消費電力に占める時計の割合によって変わります。無線通信などの消費電力が大きい場合、時計だけを改善しても、全体の削減率は小さくなります。
例として、時計の消費電力を0.79nWから、さらに半分の0.395nWにできた場合を計算します。ほかの回路の消費電力は変わらないと仮定します。
| 改善前の機器全体の平均電力 | 時計0.79nWの割合 | 時計を半減した場合の全体の削減率 |
|---|---|---|
| 10nWと仮定 | 7.9% | 3.95% |
| 100nWと仮定 | 0.79% | 0.395% |
| 1,000nWと仮定 | 0.079% | 0.0395% |
これは、条件による効果の違いを示す仮の計算です。今回の錠剤全体の実測値や、今後の性能予測ではありません。削減率は、減少した0.395nWを改善前の総電力で割って求めました。
次に確かめたいのは、機器全体での評価です。何秒おきに測り、何回送信したのか。その条件で平均電力と動作時間がどう変わるかが、実用性を判断する材料になります。
小さい時計でも、時間の正確さは別に確認する必要がある
0.96Hzという出力周波数だけでは、長時間使ったときに時計がどれだけずれるかは分かりません。この数字を「1Hzから4%ずれている」と読んでも、時計の精度を評価したことにはなりません。確認したいのは、狙った周期を安定して維持できるかどうかです。
例えば、時間を数える速さが一定の割合で0.1%ずれると仮定します。24時間では、86,400秒×0.001=86.4秒のずれに相当します。0.01%なら8.64秒です。いずれも説明用の計算で、今回の回路で測定された誤差ではありません。
体内の変化を食事や服薬の時刻と照合するなら、消費電力に加え、温度や電源電圧によって周期がどれだけ変わるかも確認したいところです。本記事では、次の評価では平均電力、動作が途切れた時間、時計のずれを合わせて示す必要があると考えます。
過去事例:服薬の確認から、体内環境の継続記録へ
飲み込む電子機器は以前からありますが、服薬を確認する機能と、体内環境を測り続ける機能は異なります。今回の研究は、後者を支える時計回路の開発です。
大塚製薬とプロテウスが開発した「エビリファイ マイサイト」は、2017年11月13日に米国で承認されました。錠剤内のセンサー、体に貼るパッチ、専用アプリを組み合わせ、服薬状況を記録する仕組みです。[6]
| 時期 | 取り組み | 今回との関係 |
|---|---|---|
| 2017年 | 服薬状況を記録するエビリファイ マイサイトが米国で承認 | 飲み込むセンサーの実用化事例。今回の新回路の承認とは別 |
| 2025年10月 | 京都大学・大塚製薬が胃酸充電回路を65nm CMOSで実証 | 発電した電力を蓄え、体内の温度やpHの計測につなげる研究 |
| 2026年10月 | 今回の時計回路を7nm世代で実証 | 測定のタイミングや時間情報を支える部品の小型化 |
既存製品に承認実績があっても、新しい回路を組み込んだ機器の安全性や有効性まで、自動的に確認されるわけではありません。技術が進歩したことと、医療で使える製品になったことは、区別して読む必要があります。
読者の生活には、どのような影響がありそうか
期待されるのは、普段の生活の中で、体内の変化を時刻と結び付けて記録できることです。ただし、実用性はこれから評価する段階です。
将来、温度やpHを継続して記録できれば、食事や服薬の前後に体内で何が変わったかを調べる材料になる可能性があります。これは期待される用途であり、今回の時計回路で病気の診断や治療効果を実証したという意味ではありません。
発表資料によると、今後は温度・pHセンサーや無線送信回路を組み合わせて評価する予定です。実際の体内環境により近い条件での検証も進めるとしています。[3]
利用者が気になるのは、飲みやすさ、測定できる時間、データの信頼性でしょう。検査の負担を減らせるかという利点に加え、受信機の利用やデータの確認にかかる手間も判断材料になります。
医療で使う段階では、繰り返し飲んだ場合の安全性や、取得した情報を診療にどう役立てるかも評価する必要があります。今回の発表資料には、製品の発売日や価格、今回の回路を使った製品の承認取得は示されていません。
この研究で押さえたい3つのポイント
成果の中心は、時間の基準を作る回路を、消費電力0.79nW、面積0.00015mm²で実現したことです。数値を評価するときは、次の3点を分けて考えると理解しやすくなります。
- 0.79nWは時計回路単体の値です。錠剤全体の消費電力や使用時間を示すものではありません。
- 約47分の1は回路面積の比較です。錠剤全体の大きさや電力が同じ比率で減ったわけではありません。
- 実用化を判断するには、センサーや通信を含む平均電力、時間の正確さ、体内での動作を確認する必要があります。
関連ページ
胃酸充電の過去研究と研究者の説明を合わせて読むと、時計回路が担う役割を理解しやすくなります。
- 京都大学・JST:胃酸充電半導体集積回路の開発に成功(2025年の先行研究)
- JST:胃酸充電を活用したデジタル錠剤を、新津教授が解説
- CodeBeat:量子技術で電力需要予測が平均20%改善と発表――研究成果の改善率をどう読むか
出典・参考資料
研究の説明は京都大学・JSTの一次情報を中心にまとめ、独自計算や将来への期待とは区別しています。今回の会議論文については、発表プログラムと書誌情報を確認しています。論文本文をすべて取得して検証したものではありません。情報確認日は2026年10月9日です。



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