量子コンピューターで、パソコンのRAMに近い役割を担う技術の研究が前進しました。スタンフォード大学などの研究チームが、超伝導回路を使った「8ビット・カスケード型ランダムアクセス量子メモリー」を実証しています。
画期的なのは容量が8ビットに増えたこと以上に、演算する部分と保存する部分を分け、1つの窓口から必要な量子情報へアクセスできたことです。
ただし、スマートフォンやPCに搭載できる1バイトのRAMが完成したわけではありません。すぐに製品化できる段階でもなく、「量子RAM」という言葉の意味にも注意が必要です。
量子コンピューター版RAM、8ビット量子メモリーを実証
研究チームは、1個のバッファーモードを通じて、7個の保存用モードへ個別に読み書きできる量子メモリーを作りました。
成果は2026年9月8日、学術誌「Nature Physics」に掲載されました。論文には、スタンフォード大学、シカゴ大学、フェルミ国立加速器研究所、ニューヨーク大学、ラトガース大学の研究者が参加しています。
最初のプレプリントは2025年3月18日に公開されています。そのため、2026年9月のニュースは、査読を経た正式版が掲載されたものと整理する必要があります。
装置は、演算を担うトランズモン、情報を受け渡すバッファー、情報を保存する7個のモードで構成されています。トランズモンは、超伝導回路で作る代表的な量子ビットです。
研究チームは、保存先を自由な順番で選べることを確認しました。各モードへのアクセスで生じた平均誤りは1.5%未満でした。
| 確認項目 | 実験結果 | 意味 |
|---|---|---|
| 構成 | バッファー1個+保存モード7個 | 合計8量子ビット規模のモジュール |
| 保存モードの周波数 | 5.333~6.407GHz | 周波数の違いで保存先を選ぶ |
| ランダムアクセスの忠実度 | 98.74~98.89% | 1回の読み書きによる誤りは約1.2% |
| 最長のエネルギー緩和時間 | 1.2548ミリ秒 | 量子状態を保てる時間の目安 |
| 7モードを巡る1周期の誤り | 16.27% | 論文が使った約17%の基準を下回る |
出典はNature Physicsの査読済み論文と、詳しい実験条件を収録したarXiv公開版です。
「8ビット」はPCの1バイトと同じ意味ではない
今回の8ビットは、8個の量子的なモードを使うという意味です。写真1枚や文書を保存できる「1バイトRAM」ではありません。
通常の8ビットは、0か1を8個並べた情報です。取り得る組み合わせは2の8乗で、256通りあります。
8量子ビットも、計算上は256個の基底状態を重ね合わせられます。ただし、測定したときに256個の値をまとめて取り出せるわけではありません。
量子状態は、読み出すと変化することがあります。未知の量子状態を自由にコピーできない「複製不可能定理」という制約もあります。
さらに今回の装置は、実験上「サイズ7のメモリー」として評価されています。長く保存する場所は7個で、残る1個はデータを受け渡すバッファーだからです。
| 項目 | 一般的な8ビットRAM | 今回の8ビット量子メモリー |
|---|---|---|
| 情報の単位 | 0または1 | 0と1の重ね合わせも扱う |
| 読み出し | 値を複製して繰り返し読める | 測定や複製に量子特有の制約がある |
| 保存場所 | 半導体メモリーセル | 3次元超伝導空洞の電磁モード |
| 用途 | OSやアプリの作業領域 | 量子計算中の量子状態を一時保存 |
仕組みは「倉庫と受付」を分ける構造
新方式の中心は、処理用の量子ビットと保存用の空洞を直接つながず、間にバッファーを置いたことです。
仕組みは、7個の倉庫に対して受付を1つ置く形に似ています。必要な倉庫を周波数で指定し、情報を受付へ移してから処理します。
- 保存モードを1つ選ぶ
- 量子状態をバッファーへ移す
- トランズモンで必要な操作を加える
- 量子状態を保存モードへ戻す
保存モードは、3次元の超伝導空洞にある電磁波の振動パターンです。各モードでは、光子がない状態を0、1個ある状態を1として使いました。
必要な保存先は、SQUIDと呼ばれる超伝導素子へ信号を送り、周波数の差を使って選びます。この仕組みにより、保存先ごとに配線を増やさず、1つの経路を共有できます。
何が画期的なのか、3つのポイント
成果の価値は、分業、配線の共有、複数モード時の誤り分析という3点にあります。
1.演算性能と保存寿命を別々に伸ばせる
計算しやすさと保存しやすさを、同じ量子ビットへ無理に両立させる必要がなくなります。
トランズモンは高速に操作できますが、周囲と強く作用するため、長期保存には不利です。一方、空洞のモードは操作しにくいものの、量子状態を長く保ちやすい特徴があります。
今回の設計では、演算をトランズモン、保存を空洞へ分担させました。CPUとRAMを分ける一般的なコンピューターに近い考え方です。
2.1つの処理系で7個の保存先を共有できる
実験段階の共有比率は、処理用の窓口1個に対して保存モード7個です。
量子ビットを増やすと、制御線も増えやすくなります。極低温装置へ入る配線が増えれば、熱や装置の複雑さも問題になります。
この方式では、保存モードを周波数で切り替えられます。メモリー容量と制御線の本数を、ある程度切り離せる可能性があります。
3.複数の量子状態がある時の誤りまで測った
研究チームは単独モードの性能だけでなく、7個を動かした時に起きる相互干渉も分解して測りました。
保存モード同士は完全に独立しているわけではありません。別のモードに情報があると、アクセス周波数がわずかにずれます。
この相互作用はクロスカー効果と呼ばれます。研究チームは、アクセス中、ほかの保存先を操作中、待機中の3段階に分けて誤りを調べました。
その結果、保存状態の減衰とモード間の相互作用が主な誤りだと分かりました。容量を増やす際に、どこを改善すべきかまで示した点も注目されます。
独自計算:公表値から性能を4つの数字で読む
公表値を計算し直すと、成果の強さだけでなく、実用化までの距離も見えてきます。
保存寿命の平均は約618マイクロ秒
7個の保存モードのエネルギー緩和時間を単純平均すると、約618マイクロ秒です。
各モードの測定値は、358.3~1,254.8マイクロ秒でした。
処理用トランズモンの493マイクロ秒と比べると、平均で約1.25倍です。最も長い保存モードだけなら約2.55倍になります。
ただし、寿命にはモードごとに大きな差があります。最長値だけを見て、装置全体が2.55倍長持ちすると考えるのは適切ではありません。
1回の情報移動は約1.14マイクロ秒と推定
代表的な転送レートから概算すると、片道の情報移動には約1.14マイクロ秒かかります。
論文が示した転送レートは0.439MHzです。交換時間を「1÷レート÷2」で計算しました。
読み出してから書き戻すには、最低でも往復約2.28マイクロ秒が必要です。実際には、これに量子ゲートや制御の時間が加わります。
これは論文の数値から求めた概算です。一般的なPC用RAMより高速になったことを示す数字ではありません。
17%のしきい値までの余裕は0.73ポイント
7モードを一巡した時の誤りは16.27%で、約17%の基準まで0.73ポイントの余裕です。
差は17-16.27=0.73ポイントです。基準を下回った点は重要ですが、十分な余裕があるとは言いにくい結果です。
容量より制御資源の削減が本命
今回の本命は8ビットという容量より、1つのアクセス経路を7個の保存先で共有できたことです。
論文では、忠実度を99.9%超まで高めれば、100個を超える保存モードも視野に入ると予測しています。ただし、これは実測値ではなく将来の見通しです。
過去の量子メモリーと何が違うのか
量子メモリー自体は以前からあります。今回の新しさは、保存部を緩衝層で守り、複数モード使用時の誤りを詳しく評価した点です。
| 発表 | 方式と規模 | 主な成果 | 今回との違い |
|---|---|---|---|
| 2017年 | 超伝導共振器の9量子ビット | 1個のトランズモンで任意の1・2量子ビット操作 | 今回ほど保存部を非線形性から隔離していない |
| 2026年3月 | バケットブリゲード型QRAM、4・8古典ビット | 量子アドレスで古典データを検索 | 量子状態の一時保存が主目的ではない |
| 2026年7月 | 機械振動モード+超伝導量子ビット | 量子フーリエ変換と周期探索を実演 | 保存媒体が電磁波ではなく機械振動 |
| 2026年9月 | カスケード型、バッファー1+保存7 | 任意順アクセスと多体系の誤り評価 | 保存部をバッファーで隔離 |
2017年の研究では、9量子ビットのメモリーに対する汎用操作が実証されていました。今回の論文にも参加しているDavid Schuster氏らの研究です。
今回のカスケード型では、処理部と保存部の間にバッファーを追加しました。保存モード間の不要な作用は数百Hz程度に抑えられています。
つまり、単純なビット数では2017年の9ビットを超えていません。「過去最大の量子メモリー」ではなく、分業型の構造と誤りの抑制が前進した成果です。
中国の8ビットQRAMとは目的が違う
2026年3月に報告された8ビットQRAMと、今回の8ビットRAQMは、似た名前でも別の役割を狙っています。
中国・浙江大学などの研究は、木の枝のような経路を使う「バケットブリゲード型QRAM」です。量子的なアドレスを使い、複数の古典データ候補を重ね合わせたまま検索します。
同研究の検索忠実度は、4ビットで0.809、8ビットで0.604でした。規模を2倍にすると、忠実度が20.5ポイント下がっています。
これに対して今回のRAQMは、保存した量子状態を古典的な信号で1か所ずつ選びます。量子機械学習向けのデータベース検索を実現したものではありません。
簡単に言えば、中国の方式は「量子アドレスでデータを探す装置」です。今回の方式は「量子状態を預け、必要な時に取り出す装置」に近いものです。
「量子コンピューター版RAM完成」への反証
今回の成果は重要ですが、実用的な量子RAMが完成したと判断するには早すぎます。
8量子ビットは実用容量から遠い
実験装置は8量子ビット規模で、長期保存に使う場所は7モードに限られます。
大規模な誤り訂正量子コンピューターには、さらに多くの物理量子ビットが必要です。
論文が示した100モード超は、改良後を想定した予測です。現在の装置で100モードを実証したわけではありません。
しきい値以下でも、誤り訂正は未実装
誤りがしきい値を下回っても、この装置で誤り訂正が動いたことにはなりません。
16.27%という値は、論文が採用した表面符号の雑音モデルと比較したものです。装置全体で論理量子ビットを長時間守った結果ではありません。
誤りの種類や相関が想定と異なれば、実用上の基準も変わります。しきい値を下回ることは出発条件であり、完成を証明するものではありません。
保存先を増やすほど待機中の誤りが増える
1つの窓口を共有するため、保存先が増えるほど待機中の誤りが重くなります。
別の保存先を操作している間は、ほかの保存先が待つ必要があります。論文でも、容量を増やすと待機中の誤りが支配的になると説明しています。
これは、窓口が1つしかない大きな倉庫と同じです。棚を増やせても、受付が混めば全体の処理は遅くなります。
装置は大きく、極低温が必要
3次元の超伝導空洞と極低温環境が必要で、小型化も残る課題です。
保存部には、3次元の超伝導空洞を使っています。高い保存性能を得やすい一方、チップ上へ大量に並べるのは簡単ではありません。
超伝導回路を動かすには極低温環境も必要です。PCのメモリーモジュールのように交換できる部品ではありません。
実用化には何が必要か
次の焦点は、アクセス忠実度99.9%超、100モード級への拡張、実際の誤り訂正との統合です。
研究チームは、接合を直列にした結合器などを使えば、不要な相互作用を減らせるとみています。また、ニオブ製空洞では20ミリ秒を超える寿命が過去に報告されています。
ただ、3次元空洞のまま大容量化すると装置も大きくなります。機械振動やスピンを使う小型メモリーとの組み合わせも候補です。
今後は、次の3点を確認する必要があります。
- 100モード級でも99.9%以上を保てるか
- 相関した誤りを含めて表面符号が機能するか
- 複数の窓口を置き、同時アクセスを増やせるか
私たちへの影響はすぐにはない
この成果で家庭用PCが速くなったり、暗号がすぐ破られたりすることはありません。
短期的には、量子コンピューターの設計方針が広がる可能性があります。演算用量子ビットだけを増やす競争から、保存や配線まで含めたシステム設計へと焦点が広がるためです。
長期的には、同じ制御装置で扱える論理量子ビットが増える可能性があります。制御線、極低温での発熱、制御機器のコストを減らせれば、量子クラウドの大規模化にもつながります。
ただし、影響が表れる時期は分かりません。現時点では基礎研究に近く、商用機への採用時期も示されていません。
まとめ:8ビットより「役割分担」が重要
今回の本質は、量子情報の計算場所と保存場所を分け、1つの窓口から7個の保存先へアクセスできたことです。
平均のアクセス誤りは約1.2%に抑えられました。複数モードに量子状態が存在する時の誤りも詳しく測定し、改善すべき点を示しています。
ただし、保存用モードは7個で、1周期の誤りは16.27%です。約17%の基準まで0.73ポイントしか余裕がありません。
「量子コンピューター版RAMの完成」ではなく、「CPUとRAMを分ける考え方を、量子ハードウェアで一段進めた成果」と捉えるのが正確です。
独自性として加えた分析
本記事では、発表内容の要約だけでなく、次の独自要素を加えました。
- 8ビットと1バイトを混同しないための意味の検証
- 7モードの保存寿命を平均し、処理用量子ビットと比較
- 0.439MHzから片道の情報移動時間を概算
- 誤り訂正しきい値までの余裕を0.73ポイントと計算
- 2017年の9量子ビット方式、中国の8ビットQRAM、ETH Zurich方式との比較
- 古典アドレス型RAQMと量子アドレス型QRAMの用途を区別
参考資料
数値と比較は、査読論文、公開データ、研究機関の資料を優先して確認しました。
- Nature Physics「A cascaded random access quantum memory」
- arXiv公開版「A Cascaded Random Access Quantum Memory」
- Springer Nature公開データとシミュレーションコード
- Nature Communications「Random access quantum information processors using multimode circuit quantum electrodynamics」
- Nature Physics「A bucket-brigade quantum random access memory」
- ETH Zurich「Inside this computer chip, the memory vibrates」



コメントを送信